OpenA(=東京R不動産を運営)では、いま佐賀市内の古民家のリノベーションプロジェクトを進めている。何世代も住み継がれた古民家はその時代にあわせて様々な使われ方をされてきた。今の時代のニーズにあわせて活用しながら、風土に根ざした日本独自の家屋をこれからの時代へと受け継いでいきたい。今回は福岡から少し足を伸ばして、ちょっと佐賀の話です。
※募集は終了いたしました。ありがとうございました。
古民家(森永家)のリノベーションイメージ。
実は近い佐賀
その古民家があるのは佐賀県佐賀市。佐賀市に行ったことのない人、どこにあるのかぱっと思い浮ばない人も多いかもしれない。佐賀駅は、特急に乗れば博多から40分くらいで着いてしまう。JR九州の車両デザインに触れながら、車窓を流れる九州の濃い緑を眺めているとあっという間だ。「2枚切符」で往復分の切符を買えば、片道1100円。実はかなりお手軽な場所に佐賀市はある。
特急のゆったりシートで片道40分、あっという間の道のり。
佐賀は江戸時代に佐賀城を中心とした城下町として栄えた。その特徴的な風景はクリークと呼ばれる細い水路。至る所に水路があり、小さな橋がある。毛細血管のように縦横無尽に張り巡らされていて、地図を見るとその様子がよくわかる。クリークをのぞきながら町歩きするのもおもしろい。
太めのクリークから路地裏の細いクリークまで、表情豊か。
そしてもうひとつ、佐賀のまちの特徴といえば、古い民家がたくさんあること。戦災も震災もなかった佐賀のまちには100年前の建物がまだ当たり前に残っていたりする。看板建築でぱっと見ただの古ぼけた商店なんかもじつは立派な古民家だったりする。はじめて佐賀のまちを訪れたとき、これはかなり衝撃的な風景だった。
長崎街道と柳町の関係
そんな佐賀のまちを長崎街道と呼ばれる街道が貫いている。江戸時代の鎖国政策の下、輸入した物品を運ぶため長崎から北九州の小倉までを結ぶ街道だった。輸入品のメインは砂糖だったらしく、別名シュガーロードともいう。そんな長崎街道に面した町、「柳町」にある古民家が今回のプロジェクトの場所となる。柳町では、長崎街道沿いに残る歴史的景観を保持するため、また佐賀市の史料を展示する施設として旧家や洋館などを活用している。明治・大正時代の歴史的建造物が立ち並ぶ一角だ。
水色で塗られている細い線がクリーク。毛細血管のように張り巡らされているのがよくわかる。
柳町にある佐賀市歴史民俗館。明治や大正時代の個性のある建物が並んでいる。
森永家って?
これからリノベーションをしようとしているのは、そんな柳町にあるふたつの建物。ひとつは「森永家住宅」で、もうひとつは「旧久富家住宅」。これらの建物を今のニーズに合わせたリノベーションの計画をしている。テナントが決まってから、その要望も取り入れた設計をする予定だ。まずは先行してテナント募集をした森永家について紹介したい。
森永家は江戸末期に煙草をつくりはじめ、その後呉服屋やダンスホールとして使われてきた。その歴史は絵や写真などもちゃんと残っている。それらを眺めていると、この土地と縁がなかった私にもこの家の歴史を肌で感じる事ができて感慨深い。
左:森永家オリジナル煙草の豪奢なパッケージ、薔薇と龍と富士山。中:煙草屋時代の店先の風景。右:呉服屋時代の店先の写真、一番手前側に写っている蔵が現在の「北蔵」。
現在、森永家敷地内には3つの建物がある。長崎街道に面した2階建ての「北蔵」、平屋の「居宅」、3階建ての「南蔵」。それぞれの棟にひとつずつ入る個性的で魅力的なテナントによって森永家は生まれ変わる予定だ。また3つの棟の相乗効果で気持ちのいい庭も活用していきたい。
森永家の配置図。長崎街道とクリークにはさまれた細長い敷地に3つの建物。
上:長崎街道に面した「北蔵」。下左:平屋建ての「居宅」。下右:3階建ての「南蔵」。
プロジェクトのおおまかなスケジュールは今年度が設計、来年度に工事をして平成27年2月にはテナントオープンの予定だ。 これから久富家のテナント募集を予定しているので、次回は久富家紹介とテナント募集要綱も掲載する。賃料は博多から比べればおそらくかなりお得だと思う。気になる方はぜひ問い合わせてほしい。