東京を離れ、福岡の海辺・今宿を経て、ディープな門司港へ
最近北九州がアツいらしい。賃料1万円の廃墟団地、昭和のキャバレー寮を活用したシェアハウス、元郵便局のコレクティブハウスなどなど、何とも個性的な物件を福岡R不動産でも紹介してきました。そこで今回から、今宿の海辺ライフを手放してまで北九州市の門司港エリアに拠点を移した宿野部(しゅくのべ)さんによる北九州コラムシリーズをお届けします。第一弾は、福岡に移住したきっかけから、数々の個性的な住まい遍歴、引っ越すに至る超プライベートなお話まで語っていただきました。

東京から、福岡の中心地と海辺を経て、門司港へ。
東京から福岡へ移住して4年と3ヶ月が経った。意図せず導かれた福岡だったが、今最高に楽しい日常を送っている。
今までの人生を振り返ると、仕事に関しては自分の直感に導かれて、変化させ続けてきた。正社員として4社を経験し、フリーランス、アルバイト、季節労働など、雇用形態に縛られず、不動産業や宿泊業、コミュニティづくりといった分野を軸に、さまざまな現場に身を置いてきた。
一方、暮らしの拠点は長らく東京だった。刺激と情報に溢れ、仕事の選択肢も多い。住む場所は都内で転々としながらも、「東京を離れる」という選択肢は、なかなか現実的には考えられなかった。
それでも結果として私は、縁もゆかりもなかった福岡へ移住することになる。今振り返ると、その選択は間違いなく人生のターニングポイントだった。
本コラムでは、私が移住を考え始めたきっかけと、福岡でのリアルな暮らしについて綴っていく。福岡移住や地方での暮らしに少しでも興味がある方にとって、何かのヒントになれば嬉しい。
自分にとって実家のある東京で暮らし、働くことは当たり前の流れだった。画一的就活を経て、新卒で入った空間デザイン会社では精神的ストレスで疲弊し、1年半で辞めた後は、より自由に伸び伸びとした働き方ができる会社を選択した。
自由とはいえ、個人の動きが売上に直結するシビアな環境だったため、決して楽ではなかった。それでも仕事にはやりがいがあり、社会人として未熟だった自分を大きく成長させてくれたのは、間違いなくこの頃の東京での経験だった。
東京には、国内外から多種多様な人が集まっている。夢を追い、面白いことに本気で挑戦している人たちとも、安価なシェアハウス暮らしの中で数多く出会った。奇想天外な彼らと生活を共にするうちに、「一度きりの人生、本当にやりたいことをやって死にたい」と、強く思うようになった。

東京時代に長らく暮らしたシェアハウスは、元母子寮をリノベした空間に15人くらいで暮らしていた。
このように仕事もプライベートも刺激的な日々を送っていたのだが、30手前になり、ふと立ち止まってみると、日々を消耗している感覚が拭えなくなっていた。仕事以外も毎日予定をパンパンに詰め込み、飲み会や買い物でお金を消費し、気づけば今日が終わっていて、タスクをこなす日々に地に足がついていない感覚を感じた。
もともと自然や旅が好きで、登山やバックパッカー旅を趣味としていた私は、東京に住みながらも定期的に山や旅へ出ていた。それでも次第に、「非日常」ではなく、「日常として自然に触れたい」と思うようになっていった。
転機となったのは、旅先の奈良や徳島で出会った狩猟体験だった。止め刺しから解体、精肉までを目の当たりにし、命をいただくという行為の重みを、身体で理解した。その時に感じたのは、この上ない「生きている実感」だった。
今思えば、東京で感じていた物足りなさの正体は、この実感の欠如だったのだと思う。ここまでの感覚を、東京での日常生活の中で得ることは難しい。そう感じた私は、以前から関心のあった地方移住を、本気で考え始めるようになった。

人生で初めて狩猟体験をした時。鹿を解体しながら、とてつもない生きている実感を感じた。
地方移住を検討する中で、日本各地を旅し、季節労働や地域おこし協力隊の情報も調べていた。瀬戸内海周辺や岐阜など、なんとなく惹かれる土地はいくつかあったが、本格的に比較検討する前に出会ってしまったのが福岡だった。
当時フリーランスとして働いていた私は、コワーキングスペースのコミュニティマネージャーもしていた。その運営会社の本社が福岡にあり、地方移住に興味があると知った社長から声をかけてもらったのだ。
ちょうど廃墟巡りのため九州遠征する予定があり、帰り道に福岡へ立ち寄ることになった。降り立ったのは福岡市西区・今宿。天神から電車で30分足らず、目の前には海が広がるオフィスだった。自然を前にすると、東京で張り詰めていた心と身体が、ゆっくりと緩んでいくのが分かった。
スーツ姿の人はほとんどおらず、Tシャツに短パン、サンダルで仕事をする人たち。東京のオフィス街とは正反対の光景だったが、私にはその風景が驚くほどしっくりきた。

今宿のシェアオフィス「SALT」からの眺め。こんな環境で働く選択肢があるのだという衝撃を受けた。
そして東京へ戻る途中、福岡移住を決定づける出来事が起こる。広島で久々に再会した男が、偶然にも福岡移住を考えていたのだ。さらに結婚への価値観も一致し、その場で「移住」と「結婚を前提とした交際」を同時に決断することになる。
冷静に考えればクレイジーな判断だが、福岡への可能性を感じ始めた直後に、同じ方向を向いた相手と再会したのだから、運命としか言いようがなかった。
そこからの展開は早く、4ヶ月後には福岡へ移住し、同棲を開始。声をかけてもらっていた会社で、正社員として働き始めることになった。
実は福岡に移住してから、4つのエリア、計7回も引っ越しをしている。転勤族ゆえに、定期的に住まいを変えるリズムが癖づいてしまっていたようだ。最初に暮らしたのは、福岡市の中でも人気の高い西新だった。福岡市には商店街が少ないと感じているのだが、そんな福岡市の中でも商店が立ち並び、ローカル感と利便性が共存する街だ。
天神や博多へのアクセスもよく気に入っていたのだが、なんと同棲を開始した男と案の定2ヶ月で破局してしまうのでした。別れた後も男は西新で暮らし続けるということで、私は泣く泣く西新を離れることにした。
傷心を抱えたまま、まだ友達もいない新たな土地で一人暮らしをするのが耐えられず、博多区・櫛田神社エリアにあったホステルへ引っ越すことにした。コロナ禍で長期滞在者が多く、シェアハウスのような環境だった。中洲や博多、キャナルシティが徒歩圏内という抜群の立地で、福岡空港からも離陸してから30分で家に到着してしまうほどの近さ。その後同じ建物の上のマンションで一人暮らしを始めるのだが、スペックがフルリノベの30㎡・1Rで家賃は5.3万円。東京と比べると、驚くほどのコストパフォーマンスだった。

博多区で暮らしたホステル「Hafh」。お洒落なラウンジが自分のリビングに。
その後、現在の夫と結婚を前提に同棲を始めることになり、選んだのが今宿だった。会社の拠点があり、糸島にも近い今宿は、狩猟や釣りが好きな夫と私にとって理想的な場所だった。
夫婦ともに今までシェアハウス暮らしをしてきたので、たまたま今宿にあったシェアハウス「マガリ舎」に暮らすことにした。大工の管理人が一軒家をセルフリノベーションしたシェアハウスで、家に帰るとサウナ小屋ができていたり、一部屋個室が増えていたり、触発された夫が鶏小屋を増築したりと、クリエイティブな人たちと一緒に生活する暮らしが刺激的でとても楽しかった。

今宿のシェアハウス「マガリ舎」。大工の管理人により日々家がアップデートされていく。
結婚後は、福岡R不動産に掲載されていた勤務先の並びの海沿いのマンションに1年間暮らすことになるのだが、この時の生活も最高だった。海が日常になり、家の前を歩きながら青空の中海の地平線を眺めていると、心がスーッと軽くなる。そんな日常を東京では送ることができない。暗くなると、目の前の海の砂の中から蟹が出てくるようで、定期的に夫が蟹取りをしていたところ、声をかけられ仲良くなったのが同じマンションに住んでいたヨット乗りのアメリカ人。今では夫は彼と一緒にビジネスをする関係にまで発展した。

今宿で暮らしたマンションの駐車場から。毎日この景色を見ながら働き、生活をしていた。

海辺の勤務先と自宅。ビーチ沿いを徒歩3分で通勤する暮らし。
博多や今宿での暮らしは前述の通りとても快適だった。住まいの環境も、人間関係やコミュニティにもとても恵まれていた。ただいつだって我儘な私は、どこか物足りなさを感じていた。私はもっとどろどろした人間臭さと、濃厚なカルチャーを欲していたのである。
より自然を感じたくて福岡移住し、身近に海や山がある生活を堪能していたものの、東京や京都在住時代に摂取していた濃厚でアングラなカルチャーや、泥臭い下町感が忘れられなかったのだ。個人商店が建ち並ぶ商店街、小汚い角打ち酒場、アーティストが住み着いて創作活動をしている廃墟みたいなアトリエなど、そういった個性が正直福岡市にはあまりなかった。天神ビッグバンと博多コネクテッドの再開発真っ只中で、それを否定するわけではないけれど、常に新しく生まれ変わる街に心からのワクワクが生まれなかった。
そんな中、新たな居住の地として浮上したのが北九州市・門司港である。実は門司港には、移住前に会社面談しに来た帰り道に寄った場所だった。昔からの友人が門司港でシェアハウスをやっているということで、前情報も何もなく遊びに来たのだった。そこで私はこの街に一目惚れをすることになる。なぜ門司港に惹かれ、4年越しに移住する決断をしたのか。その理由については、次回のコラムでじっくり語りたいと思う。

2021年5月9日に初めて門司港へ上陸した時の写真。ここが数年後、自分のホームになるとは。
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